美和のアート研究室

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幻想と現実の間(あわい)で。【感想】「生誕120年 東郷青児展 夢と現の女たち」@あべのハルカス美術館

こんにちは、あべのハルカス美術館常連客になってしまっている美和です。

気になっていた東郷青児展を観に行ってきましたよ(∩´∀`)∩

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東郷青児は1897年(明治30年)に鹿児島で生まれ、1978年(昭和53年)に没した洋画家です。生誕120年を記念して、2017年から各地で展覧会が行われ、その最後の会場となるのが大阪のあべのハルカス美術館です。

www.aham.jp

 

すてきな展覧会でした( *´艸`)

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東郷青児「テラス」1935年 広島県立美術館所蔵(展覧会図録より複写)

「青児美人」といわれる美しい女性。わたしは好きですね。でも不気味で怖いと思う人もいるようです。あなたはどうでしょう。

 東郷青児のデビュー作

東郷青児といえば、幻想的な女性たちをすぐイメージしますが、もちろんそれだけではないんですね。

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東郷青児「パラソルさせる女」1916年 一般財団法人陽山美術館(展覧会図録より複写)

 こんなキュビズム的な絵が実は東郷のデビュー作!18歳のときの作品。

翌年に二科展(政府主催ではない在野の美術団体の展覧会)に出展し、初出品にして賞を受賞してしまうのです。この作品で、東郷は前衛的な画家と認識されるようになります。パラソルはどこや?って思っちゃいますけどね。

 

でも、個人的にはキュビズムの作品はやっぱりピカソのものがいちばんいいなぁと思う(ピカソ創始者だから当然と言えば当然だけど)。なんというかキュビズムという手法を理解して(自分の中で消化させて)描いてるっていう感じ。こんなことを言ってるわたしはもちろんキュビズムの手法を理解できていません。

 

東郷は1921年から7年間フランスに滞在し、ピカソとも交流があったみたいですよ。

 

多岐にわたる仕事

フランスから帰国した東郷は、たくさんの仕事を引き受けます。

 

雑誌や〇〇全集などの刊行ブームが起こっていた出版界から、本の装丁や挿絵、表紙のデザインを多く依頼されます。フランス帰りで、欧州の美意識や芸術を吸収した東郷のデザインと当時の日本の民衆が求めていたものがぴったりと一致したのでしょう。

 

展示場にも、たくさんの雑誌や分厚い単行本サイズの本が展示されてましたよ。今のわたしから見ても、こんな丁寧で凝った装丁の本なら買いたい!って思うようなものが多かったです。雑誌も、表紙に東郷の描く女性が描かれていて、それだけで買ってしまいそう。本を買うときってやっぱり装丁は大事ですよね。単行本はデザインがステキだとそれだけでテンションが上がります。

 

ほかにも、東郷は劇場の舞台装置の設計を手掛けたり、なんと知人のために小さな洋館の設計もしているのです(;゚Д゚)自分の家の家具や照明も自分でデザインしたんだとか…今でいう「空間をデザインする」みたいな感じかな。

やることの幅が広い…

 

大衆と芸術をつなぐ場としての百貨店

〇〇としての△△…

研究者とかがかっこつけて使いたがる言い方ですね(苦笑)

 

たくさんの仕事を引き受けながら、東郷特有の様式が確立されていきます。その時期は、ずばり1935年(昭和10年)前後。この記事冒頭に載せた「テラス」の女性もこの時期に描かれたThe☆青児美人。

やっぱりこの時期の絵がいちばん良いと、わたしも展覧会で観て思いました。女性がほんとに吸い込まれるように美しい。

 

この時期の東郷の大きな仕事といえば、フランスで知り合った藤田嗣治(1886~1968)との京都・丸物百貨店六階大食堂の壁画制作!

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藤田嗣治「海の幸」1936年 京都・丸物百貨店六階大食堂壁画(展覧会図録より複写)

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東郷青児「山の幸」1936年 京都・丸物百貨店六階大食堂壁画/シェラトン都ホテル大阪(展覧会図録より複写)

この東郷と藤田の作品が、対になって百貨店の大食堂に掲げられたそうですよ。めっちゃ贅沢!!うらやましい…

壁画っていってますがキャンバスに描かれているんですが、これ縦横1m70cm超えで結構大きいです。ってかこの絵を並べて見ると、藤田と東郷の作品どちらも素晴らしいですが全然違いますね。藤田の女性たちは実在感があって生き生きした感じだけど、東郷の方はフォルムだったり服のひだの表現がかなり省略されているので、なんか浮いた感じ。それでもこの東郷の方に惹き付けられるのはなんででしょう。

 

今は百貨店に行っても、こんな芸術には触れられない気がするなぁ…。もちろん伊勢丹とか阪急とかギャラリーがあって「くまのプーさん展」とかしてて見に行ったりとかしますけど…

 

1930年代は、百貨店は大衆娯楽の拠点となっていたみたいです。芸術家の個展もたくさん開催されていたみたいで、今とは違って大衆文化の発信源みたいな感じだったのでしょうか。って書いても自分でもあんまりイメージわかない(;´∀`)

 

京都駅前に1930年代に設立された丸物百貨店は、その後京都近鉄百貨店となり、2007年に閉店後解体されたとのことです。かつては京都のシンボル的存在だったという今はなき丸物百貨店。それをこの展覧会では見ることができます!!

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東郷青児「婦人像(屋上塔)」制作年不明(展覧会図録より複写)

この麗しい貴婦人が見上げるビルが丸物百貨店。この絵は当時百貨店でショッピングバックに採用され、配布されたそう。ええなぁ、こんなショッピングバック絶対欲しい!これもらうためだけに買い物行くわ。

 

 

会場で、「丸物!あったわ!丸物百貨店、ワタシ知ってるわ!」てコーフン気味に叫んでたおばさんがいました。笑

和む…(●´ω`●)

作風の変化

戦争を経て、東郷の作風も変化していきます。

 貧困などの社会的テーマを扱ったり、愁いをより帯びたものが増えてくるような気がします。どこか退廃的、っていったらちょっと違うかもしれませんが…。

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東郷青児「若い日の思い出」1968年 損保ジャパン日本興亜(展覧会図録より複写)

展覧会図録の表紙にもなっているこの少女。これも美しかったな~。なんとも物憂げな表情です。これもまた筆で描いたのか?と思うような質感をもっています。

 

東郷青児の描く女性って、すごく美しいんですけど実在感がないっていうか、現実から切り離されている存在で、かといって絵の中の背景からも浮いていて、時間とか空間から切り離されたような存在。上の「若い日の思い出」の少女は特に、村上春樹の『海辺のカフカ』に出てくる15歳の少女みたいな、時間も空間も止まったなかに存在するような感じ。

お気に入りの一枚

じゃん!

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東郷青児「紫」1939年 損保ジャパン日本興亜

わたしは、この展覧会でこの作品が一番好き。でも画像じゃ実際の100万分の1も魅力が伝わってませんね(´;ω;`)ガックシ

この絵は、東郷の様式が確立した時期に描かれたもの。The☆青児美人のおひとりです。

画像では黒に見えますが、背景の紫が吸い込まれるように美しい。近くで見ても、筆の筆跡も全然見えないんです。でも指先とかすごく繊細で、ほのかにピンク色をしてたり、白い肌に映える真っ紅なくちびるもステキ。ため息出ちゃいます(●´ω`●)ムフ

 

これを見てるとき、係の人に案内されているピーコさん(「おすぎとピーコ」の)が近くに来ててびっくりしました(*'▽')その日はピーコさんの講演会(トークショー?)があったようですね。

 

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楽しい展覧会でした(*´ω`*)♡

東郷青児の作品そのものを味わい尽くせるし、様式の変化や百貨店全盛期などのその時代の文化のかほりまでも感じることのできる展覧会でした。

 

おしまい