美和のアート研究室

「好き」で満たされた毎日を。

ずっと自分じゃない誰かになりたかった。

ずーーーっと、自分じゃない「誰か」になりたかった。

 

 

 

小学生の低学年のころからそうだった。

 

 

クラスに憧れる女の子がいて、その子みたいになりたかった。

漫画を描くのがすんごく上手で、みんなから愛されてる女の子。

 

 

 

中学でも、いろんな女の子のいろんな部分に憧れた。

字の書き方まで真似した。

 

 

 

ある日、姉から言われた。

「字がひとつずつバラバラ」

 

 

 

 

これはびっくりした。

 

 

 

いろんな女の子のいろんな字の書き方を真似したおかげで、

いろんな女の子のいろんな部分のつぎはぎで、私は出来上がっていたのである。

 

 

 

高校では、部活のチャキチャキした先輩に憧れた。 

でも、そんなふうに私はなれんかった。

 

 

 

ここまで書いて、誰かの何かにこんなに憧れられるのは、私の特殊能力なんじゃないかと思ったのは、今はどうでもいい。 

 

 

 

でも、

 

最近になって、強烈に思うことがある。

 

 

それは、

 

「‘‘私”を生きたい」ということ。

 

 

ただただ、私は‘‘わたし”でありたい。

 

 

 

言ってしまえば、「憧れ」と「自分」のキョリがだんだん埋まらなくなってきたのだよ。

 

 

わたしは私以外にはなられへんし、なる必要もない。そんなんわかってる。

 

 

でも、どっかで認めたくなかってん。

わたしもあんな人になれるんちゃうかな?って希望を捨てられんくてあがいてたのよ。

 

 

もう、降参。(「こうさん」を変換すると「康さん」がトップに出た。誰やねん)

やっぱり、自分にしかなれんよなーーって。認めるのにどんだけ時間かかってんねん。

 

 

 

 

でも、私には、なんにもない。 

 

しばらくは、なんにもない私を生きてみる。

 

 

 

 

さて、真夜中に記事をアップしてみむとす。

 

おしまい